「経済学に何ができるか」(後半)
やっと読み終わりました。かなり時間かかってしまった…
経済学に何ができるか - 文明社会の制度的枠組み (中公新書)
- 作者: 猪木武徳
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 新書
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なかなか自分には読み応えのある本でした。自分の予備知識不足もあるけど、文章構成が読みづらい(?)ように感じました。思ったことをつらつらと書いていくみたいな要素のことです。最近自分が読んでいた本がハウトゥー本的な要素が強いものばかりで、さらっと読めるものばかりだったからかな。それとも、これくらいの本を読むことが、「緊張感を強いられる読書」というものなのでしょうか(?)まだ、自分には判断がつきません。
以下、印象に残ったトピックについて(以下の太字は本文の内容をもとに自分で言い換えたりしています。)
・(第7章)
人間の知識の不完全性に対処するための「制度」としての自由、これを確保するのが大学の重要な役割
研究機関としての大学は、自由の確保が重要。近年、教育改革が議論される中で文科省の大学への関与が強まっていることをよく聞く。教育に関して、もっと学生が勉強するよう関与していくのがいいと思うが、研究にまで関与が深まり、自由が制限されていってはいないかは心配だ。
・(第8章)
この章に限らずだが、経済と哲学や倫理といった分野は密接に関係している。そして、哲学の話になってくると、自分にはかなり難しい…
・(第9章)
さまざまな中間団体が、それぞれのメンバーの利益を公共性になじむものへと転化していく機能は市場経済でも無視できない。
本文に書かれているような、アメリカにおける中間的組織の働きは社会的に重要だと感じた。アメリカは個人主義みたいな話はよく聞くが、だからこそ個人の利益を実現するための手段に長けているということなのだろう。
・(第10章)
人間が2つの両立しにくい原則を求めるために、解決策は折衷的になる
このような観点から考えると、本章の冒頭で取り上げられる中国の体制への見方は考えさせられるところがある。政治と経済で社会主義と資本主義を使い分けており、ここまで国力を高めてきた。しかし、政治においては中央集権かつ一党独裁による意思決定の迅速さは、国民の自由の制限による代償であり、国民の不満が溜まっている。ここにはどのような折衷的な解決策を見出すのだろうか。
・(第11章)
経済的豊かさとは、選択の幅を広げ、人間がより自由に幸福を追求できるようにするための前提や手段となるもの。
自分が理解する幸福感を最大にするために、個人は行動する。
この章を読んで感じるのは、個人として自分の幸福感を理解することの重要性である。きっと社会人の中には目の前の仕事に一生懸命過ぎて、いつしか経済的豊かさの追求が目的になってしまう人もいるだろう。就活においても、自分がどんなことしていればを一番に幸せを感じることができるのかが十分に考えることが重要だと思う。そうでないと、いつしか他のことが目的になっていたりして、「結局自分は何がしたいのかわからない」という自体になりかねない。
なんか今日書いた感想はイマイチですね。自分で言うのもあれですが。理解が不十分だったのかな。おそらく、経済学への知識がもっとあれば読んでいて感じることもだいぶ変わるのだと思います。自分には少し時期尚早だったかな…でも、あえて残しときます。